『迷路』の中で、道を見失い。。。

自分の今いる場所さえも、完全に見失っている気がする。

「会社」を退職してから『迷路』に迷い込み、今では完全に『迷宮』状態に陥った。
ただ、生きているだけ。全く意味が無い。

しかし、「会社」に在籍していた時は、意味があったとも言い切れない。
少なくとも、「会社」という組織の一員として、そして「納税者」としての責任を果たしていただけマシななのだろう。

世の中の「矛盾」に噛みついてみても、何も変わらない。
偉そうに、若者に「意見」など言える立場じゃない。

迷っただけなら、「原点」に帰ればよい。
しかし、その「原点」にさえ帰れない。

まして、その「原点」さえ見失っている。
そもそも、何処が「原点」なのだろう?

「生まれた瞬間」、「自我が目覚めた時」だろうか。。。
しかし、確実にそれではないと思う。

「自我」=「エゴ」とすれば、「意識と前意識、それに無意識的防衛を含む心の構造」との概念を指す。すでに「心の構造」が壊れているのだから否定せざるを得ない。

やはり、「心の構造」が壊れた時点が、最も直近の「原点」なのだろう。
だが、張りつめた「心」が瞬間的に壊れた訳ではない。

勿論、そういう場合も存在しているだろう。だが、私の場合は徐々に傾いて、気が付くと転んでいた状態に近いと思う。だから、1回は立ち上がれたのだろう。
その時点では、明確に「原点」が見えていたのだから。。。

壊れる前であれば、「道」がなくとも切り開いていたかもしれない。
その前に、「道」など無視していた。

何となくだが、子供の頃に友達が徐々に家に帰宅していく中、一人「校庭」に残された記憶に近い気がする。両親が、共働きだったので、いつも最後は一人だった。

未だに、一人で「校庭」に残っているのだろうか?
その頃であれば、大騒ぎして探してくれただろう。

今では、誰も探してもくれない。そして、自分もそこに立ちつくしているだけなのだろう。待っていても、誰も見つけてくれないのに。。。



            Well, I'm on my way  I don't know where I'm going
         But I'm on my way  I'm takin my time but I don't know where
               Good-bye to Rosie the Queen of Corona
              See you me and julio down by the school yard
              See you me and julio down by the school yard

何処にでも一緒に行動する「相棒」の存在って、年齢によって変わってきますよね。学生時代の友人とは、私が「サービス業」に就職した事で疎遠になったものです。

「会社」内でも、「異動」と相手の「結婚」が疎遠になる要因でした。
「退職」して孤立する事で気付いたのですが、「日々の煩雑さ」に追われていた時の方が、自分が本当に「何処に向かっている」のかという、『本質』から目を背けていたいた気がするのです。。。

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『諸星大二郎が作り出す、抜け出せない不思議世界の迷路。入り口は、本書収録の10作品の扉から──。 』(内容紹介より)

申し訳ないのですが、「諸星 大二郎」氏と「星野 之宣」氏の区別がつきません。タイプが似ているという印象しかないのです。(昨日、『源氏物語』と『平家物語』を間違えた事を指摘されるまで気付かなかった位ですので。)

私の記憶では、『柴門 ふみ』の初期の短編に「ぼくとフリオと校庭で」という作品があったと記憶しているのですが。。。
(彼女のペンネームが、『ポール・サイモン』から拝借した事は、間違いありません。)

他にも、『ポール・サイモン』絡みのタイトルの作品も存在していた気がします。
流石に、そこまでは自信がありません。ただ、その独特の「世界観」に惹かれていた事は間違いないと思うのですが。。。

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